テーマは、夫婦間のDV問題。
まだ、DVについて関心が向けられていなかった頃でした。
記事内容は、数人の被害者(妻)の話で埋められていました。
加害者(夫)側への取材は拒否されてしまう中、
やっと得られた一人の証言が忘れられません。
被害者側の証言の9割が彼の記憶には残っていないのです。
双方が嘘をついている様子はないこと、
夫が家の外では「いい人」であること、
に、驚き、戸惑う心情を取材記者は綴っていました。
さて。
心理学の基礎的な知識の一つである「防衛機制」は、
理解しやすい身近な概念だと思います。
個人的な問題を抱える人と話をする時に、
「それは逃避じゃないの?」とか「問題をすり替えてない?」
とか言ったりすることがありますが、まさにそういうことです。
「抑圧」、「合理化」、「投影」、「補償」・・・・
たくさんあります。
当たり前に、日々いろんなことに「対処」しながら生きているので、
誰もが無意識のうちに「防衛機制」をしています。
要するに、思い(欲求)通りにならないことばかりのストレスから、
自分(自我)を守るための働きなのですね。
心が壊れないように。
心が壊れないように、
自分の犯した過ちを忘れるという防衛機制もあるようです。
基本的に、記憶の「抑圧」に当てはまるのかと思いますが。
完全に忘れることもあれば、希薄化や歪曲することもあり、
それは無意識でやっていることです・・・
が、希薄化や歪曲の場合は意識の介入がある場合もありそうです。
意識の介入、というより逆に無意識の介入になるのかな??
その場合は、心がザワザワするのが特徴なのでしょうね。
気づいている感覚がある、ということで。
冒頭に書いたDV問題に当てはめて考えると、
「いい人」の仮面(?)いえ、一面は、
彼にとっては生きていく上での命綱なのだと思います。
DV(=酷い暴力・暴言)を振るう一面は、あってはならないもの。
でも、やってしまう・・・ならば、忘れてしまうしか道がありません。
と、いう「防衛機制」が働いている、と。
だからって、9割も忘れるの !?
と、被害者はもちろんのこと第三者から見たって、
信じられないようなことを、無意識はやってのけてしまう・・・
「忘れる」という行為は、無意識にしかできない仕事。
そして、無意識の力の凄さを私たちは知らなさ過ぎる。
「双方の言い分が食い違っていてどっちが本当なんだか?」
と、つい第三者は言いがちですよね。
実際、嘘をつく人もいますし、第三者にはわからないこともある、
複雑だったりするんで仕方がないんですが。
でも、このDV(暴力・暴言)に絡んだ忘却については、
名前を付けるとかして(*****現象とか*****症候群とか)
社会的に認知されていかないと双方共に救われないと思います。
ついでに言うと、この忘却に関する「防衛機制」は言うまでもなく、
加害を犯した権力者(政治家・役人…その身内)にもよくありますね。
忘却だけじゃなく他の防衛機制もありそうですけど、
その無意識から意識への介入によっての反応が何とも・・・です。
例えばですが、
薄々気づいていて罪悪感がある場合は反応(言動)が攻撃的で、
無意識に操られている場合は子どもっぽかったり(自己憐憫、泣くとか)、
でしょうか・・・疲れますね。